NGSデータ解析まとめ

サカナ研究者の手探りNGS解析(おもに進化生物学)

自分が嫌いだけど好きだった、若い頃の自分へ

斉藤環さんの「自傷的自己愛」の精神分析、とても面白い本だった。この本で書かれている自傷的自己愛というのは、自己評価が低くて、自分はダメな人間だ、とずっと思いながらも、そんな自分自身のことをずっと考えているような心の状態のことで、うつ状態や引きこもりの人によくみられる心の状態のことだ。

著者は専門の精神分析の視点から、自己愛とは何か、また時代と共に変化していく若い人の自己愛の在り方、みたいな話に切り込んでいく。さらに、自傷的自己愛の状態に陥った人がどのように健全な自己愛を取り戻したら良いのか、臨床家らしく具体的な対応手段に話は進んでいく。

この本、全体的に気づきが多く、腑に落ちる部分が多かった。著者は、自己評価が低く、うつ状態にある人が、何か文章を書くなど「何かを作る」ことに関して生産的であることが少なくないことから、自己評価の低さやうつ的な状態は、必ずしも否定されるものではない、と述べる。これはとてもよくわかるところで、確かに気分が落ち込んでいる時って、妙に論文が書けたり、自身の生産性が上がるというか、書くことが一種の治療になっている、という感じがする。

その上で、人間の気分の総和は基本的に一定であり、何らかの自己啓発的な手法で高められた自己肯定感は必ずしも長続きしない、と指摘する。これも理解できるところで、まあ、自己啓発で性急に自己肯定感を高めてもすぐにもとに戻ってしまいそうだし、下手したらカルトや陰謀論にはまってしまいそうだ。

この本の中で、特に個人的に共感したのは、第4章の「優生思想」についての考察の部分だ。自傷的自己愛を持つ人に典型的な考え方として、「仕事での成功」などによって自分の価値を高め、自分を肯定できるようになりたい、というものがある。しかしこの考えは時にとても危険で、仕事上の達成はあまり自己肯定感を高めないばかりか、達成できない時に、「自分には価値がない」と思い込み、そこから「価値のない自分は死んだ方が良い」という「優生思想」に陥ってしまう、という。優生思想とは「生きる価値のない人間が存在する」という考え方のことで、最近は著名な学者とかでも、公に優生思想を語ったりするけれど、自己評価の低い人が、自身を否定することで優生思想に近づいてしまう、というのはとてもありがちなことだ。私自身も、若い時には自己評価が低く、「自分なんて生きる価値がないのではないか」とか思っていたことがある。でもある時、その考えって一種の優生思想だよな、と気づいて、世の中には「自分も含めて」生きる価値がない人間なんていない、と思い直した経験があるのだけど、それを明確に指摘した文章を読んだのは初めてだったので、その点は非常に感心した。

著者も、(多分)言いたいと思っていることは、優生思想を否定することは単純に倫理的な問題ではなくて、あるいは「きれいごと」ではなくて、この世界でなにがあっても、生きている限りは生きていくという「覚悟」なのではないか、ということだ。著者の言葉を引用すると、

「あなたが他者をむやみに否定しない倫理的理由があるというのなら、まったく同じ理由で、自分自身も否定しないでほしい、ということです」(196ページ)

また、この本では、第二章の「コミュニケーション力が何よりも重視される(ハイパー・メリトクラシー)現代」に対する批判、も興味深く読んだ。いつも感じていることだけど、本当に、今の時代に十代を過ごさないといけない若い人たちは大変だよな、とつくづく思う。

若い時の私のような、自己評価が低くて自信を失いがちな若い人たちには、ぜひ読んでほしいと思った。テレビやネットで平然と優生思想を語る、コミュ力に長けた学者や起業家(といわれる人たち)に引っかからないためにも・・・